ウォール街の証券会社を30歳で退職
30カ国を巡りながら辿り着いた
「サラダボウル」に人生を賭け挑む男
2016年5月に東京・神楽坂でサラダボウル専門店「WithGreen」を創業して以来、東京都内12店舗の他、横浜・大阪・京都で計17店舗(2023年2月現在)を展開している、株式会社WithGreen。
「日本の生産者の想いを、サラダボウルを通して伝えていきたい」という考えから、創業以来、日本の生産者を重視し、100%国産の野菜を使用し続けている。
ウォール街の証券会社を30歳で退職、200日30カ国を巡りながら辿り着いた答えが、国産野菜に拘った「サラダボウル」というチャレンジだった。
なぜ金融業界から「食」という異業種へ飛び込んだのか。どのような大志を抱き、この先どこへ向かおうとしているのか。今回は、株式会社WithGreenの代表取締役 武文智洋氏に注目してみた。
内定先が破綻。人生最悪の事態が “サラダボウル”との出会い
2008年9月15日、外資系投資銀行のリーマン・ブラザーズが経営破綻。同社への就職が内定し、入社を心待ちにしながら残りの大学院生活を楽しんでいた武文氏を、突然、予期せぬ事態が襲った。
内定先だったリーマン・ブラザーズが経営破綻したことをテレビのニュースで知り、頭が真っ白になり現実を受け止めきれず、その夜は倒れるように寝たのを憶えています。翌日早朝、日本法人である六本木ヒルズ社屋を訪ねると、そこには多くの報道陣が詰めかけ、近寄ることさえできない状況でした。
先行きが読めない状況の中、修士論文を書きながら就職活動を再開した武文氏だが、金融機関は軒並み採用を縮小し始め簡単には行かず、68キロあった体重は50キロ台まで落ちてしまった。
就職浪人も覚悟した矢先、リーマン・ブラザーズのアジアパシフィック部門を野村證券が買収し、内定者も引き取ってくれるとのことで、卒業直前になんとか就職先が決まった。のちに、このリーマン・ブラザーズの破綻が野村證券でのニューヨーク勤務に繋がり、『サラダボウル』と出会うことになる。
人生で最も不幸な事態が、後から考えると、最も幸運な出来事になりました。入社時から「30歳で金融業界を卒業し独立する」と期限だけを決めて働き始めました。日本株のトレーダーとして3年半東京で勤務した後、上司に海外勤務を直談判。ニューヨーク支社で1年半勤務できたことは、得難い経験でした。日系の金融機関だからこそ、当時英語ができなかった私でも、海外へ送り出してくれたのでしょう。
アメリカでは、生活の身近なところに生産者が消費者へ直接販売するファーマーズ・マーケットがあり、オーガニックでローカルな食材を楽しみながら購入する文化が根づいていることを、この時、武文氏は知った。
忙しく働く人たちが摂るウォール街でのランチは、肉や穀物がたくさん入った主菜として食べる「サラダボウル」が人気でした。当時の日本には、サラダがメインになる食文化はなく、周りの同僚が毎日食べているのを見てとても驚きました。
私もステーキなど胃に重い食事をした翌日はサラダボウルを食べるようになり、週に1回、2回と、サラダボウルの日が増えていき、習慣化していきました。
しかし、この時点で武文氏は、3年後にサラダで起業するとは思ってもいなかったという。
期限を決め世界一周に。たどり着いた答えが「食」だった
「30歳で金融業界を卒業する」と公言していた武文氏だが、30歳で退職したものの、事業の見通しは何もなく「2年後に始める」とだけ期限を決めた無職生活をスタートさせた。
最初の1年間は、あらゆる可能性を考える時間として費やした。200冊以上の本を読み漁り、トレーダーとして日本のマーケットや産業を見てきた経験から日本の強みや自分の能力・価値を考えたとき、武文氏の頭に浮かんできたのが「食」と「観光」だった。
一方で、共同創業を考えていた弟(現 取締役兼COO 武文謙太氏)と、互いの強みを生かし、補い合えるものについても考えていた。
食べることが好きな弟は、大学在学中に飲食店経営をし、食品メーカーに就職しました。弟のバックグラウンドにすでに“食”があったことや、これまで自分がやってきたこと、考えてきたこと、未来へのイメージ・・・たくさんのピースがカチリと音を立てたのが聞こえました。「“食”でいこう」とひらめいた瞬間でした。
兄弟がビジネスパートナーになる強みは、育った環境が同じだからこそ、ビジョンや価値観の共有、互いの長所短所の補填が容易だということ。“食”でいこうと決めた武文氏だが、世界で日本食事業を展開するのか、日本でサラダ専門店の事業をするのか、決めかねていた。
そこで、世界中の食を体感してから最終決定しようと、後半の1年間で“食”をテーマにした世界一周の旅に出かけることに。200日かけて海外30カ国を旅する中で、日本のポジショニングが見えてきた。
日本の良さは、肉・魚・野菜と食材が豊富にあること、料理のアレンジ力もずば抜けて高く、おいしくてコスパがいいこと、四方を海に囲まれ、山や川があり、四季があり、圧倒的な地理の利があります。細長い地形から、1年中季節の食べものが各地で食べられます。
日本の食文化の豊かさは、世界の中でも稀有です。 対して、生産者と消費者のつながりがわかりづらいと感じました。生産者から直接買うファーマーズマーケット(直売所)のような場所は少なく、スーパーマーケットでの買い物では生産者の顔は見えません。食材のむこうにいる人とつながる食体験が、日本ではぽっかりと抜け落ちています。
さらに、国内の飲食店を見渡すと、その数は飽和状態なのにメニューは炭水化物ばかりです。「生産者と消費者をつなぐ」ことができる飲食のブランドを構築したら、大きな意味があるのではないか。健康の観点からも、ニューヨークで出会った「サラダボウル」がいいのではないか。日本が世界に誇る“食”の産業に携わり「サラダボウル」をやろう、そう考えが固まりました。
日本で「生産者と消費者をつなぐ」ことが困難な背景には、流通の仕組みによる影響があるという。狭い国土や天災に対応していくため、生産と流通の効率化に重点を置いた農作物の「規格」がある。農作物の規格が統一されることで生産者は栽培技術や生産効率を高めることに専念でき、生産者同士の助け合いも生まれる。
一方、規格が統一されるということは、生産者の顔や農作物の個性は埋もれてしまうということだ。当然、消費者にとって、生産者の顔は見えにくく、自分が食べているものはどんな人が、どうやって育てて、どのようにして食卓に届くのか、知るすべがない。
武文氏の原体験のひとつに、創業時に農業訪問をして、生産者と話しながら自分で収穫した野菜を食べると、心もからだも満ち足りて、いつも以上においしく感じたことがあったという。“食”の背景を知ることは、おいしさが増し、豊かさにもつながると考え、“日本の生産者や四季を大切にするサラダボウル専門店”をコンセプトにしようと決めたのだ。
国産野菜に拘ったサラダボウル専門店「WithGreen」を兄弟で創業
2016年、武文氏は満を持して弟と二人でサラダボウル専門店WithGreen(ウィズグリーン)を創業、記念すべき1号店を神楽坂にオープンした。6年経た現在、コロナという大変な状況に直面しつつも、東京・神奈川・大阪に16店舗を構えるまでに拡大。
代表の兄は、証券会社のバックグランドを生かし資金調達などの経営分野を担当。取締役兼COOの弟は、食品メーカーのバックグラウンドを生かし商品開発などの現場分野を担当している。
有言実行を貫きとおし、夢を着実に実現した武文氏だが、この先どこへ向かおうとしているのだろうか。
当社は、アメリカやヨーロッパのサラダ文化をそのまま持ってくるのではなく、「国内の生産者や季節感を大切にするサラダボウル専門店でありたい」という想いで創業しました。だからこそ、創業から大切にしている国産野菜100%の使用を、自然災害などの特殊な事情がない限り、続けていきます。
サラダのトッピングとして「アボカドがないか」とよく聞かれることがあります。アボカドはメキシコなどの熱帯地域が主な生産地で、国産はほとんど出回っていないため、当社のメニューに入れることはありません。代わりにさつまいもや大根など、国産の栄養価の高い野菜を四季折々で使用し、野菜ごとのおいしさを最大限に活かせるよう、カットや調理方法を考えています。
また、少しキズがある、曲がっているといった理由で流通の規格から外れてしまう野菜も、工夫して使用しています。残った野菜の一部をスープにして、日替わりで提供するなど、フードロスの削減には、これからも力を入れていきます。
そして、食生活が乱れやすい現代人の野菜不足を解消し、健康を支える場所になりたいと考えています。5年後には30~50店舗に拡大し、日々の選択肢に「サラダボウル」がある未来を創造していきたいですね。
注目の社長プロフィール
株式会社WithGreen 代表取締役兼CEO 武文智洋(たけふみ ともひろ)
1983年9月8日生まれ。慶應義塾大学院機械工学科卒業
2009年4月に証券会社入社。入社後3年間は東京で日本株セールストレーダーとして勤務
その後、ニューヨークに転勤しウォール街で機関投資家営業として2年間勤務
退職後は200日30カ国の世界一周を行いながら、新規事業の計画を立てる
2016年、株式会社WithGreen創業。資金調達・マーケティング・店舗開発を中心に担当する
取締役兼COO 武文謙太(たけふみ けんた)
1987年4月14日生まれ。名古屋市立大学経営学部卒業
大学在学中に友人と2人で焼肉店を新規開店および運営する
大学卒業後は、2010年4月に食品会社入社。個人から法人まで6年間営業として勤務
2016年、株式会社WithGreen創業。店舗運営・商品開発など、現場業務を中心に担当する