コロナ禍で旅行業界が変動し改革が急務に。
1人広報から4人へと広報体制を構築し
100周年に向け着実に存在感を増大
来年2024 年 3 月 10 日に創業 100 周年を迎える、ホテル業・飲食業を営む、 株式会社聚楽。
創業者である加藤清二郎氏は、1923(大正 12)年 9月1日11時 58 分に発生した「関東大震災」後の 11月14 日、出稼ぎ先の樺太から東京へ戻り、上野西郷像の前で、焼け野原と化した町を目の当たりに。2週間歩き回り東京の町を調査し、自身が理想としている大衆食堂の必要性を確信し、東京で簡易洋食「須田町食堂」を開業。当時は、高嶺の花だった西洋料理をどこよりも安く提供し、帝都東京市民の間で話題となったそう。
その後、外食産業の確立を目指し、昭和10年代に89店のチェーン網を築いたものの、終戦時の残存店舗はわずか5店へ減少。その厳しい時代を乗り越え、その後に温泉旅館、リゾートホテル、レストランオープンなど事業を拡大し、現在7棟のホテルと直営26店舗のレストランを運営しています。
今回は、ネタもと導入からわずか7カ月目となる、株式会社聚楽 ホテル事業部 副部長 堀越 弘明 様に、広報の自走化に向けた現状について詳しく伺いました。
ネタもと導入前の経営課題
弊社は100周年と歴史があるため、近隣や、業界ではある程度の認知はありました。しかし、コロナ禍で旅行業界全体のお客様の動きが大きく変わり、弊社も以前は団体旅行のお客様で満室の予約をいただくホテルが多くありましたが、この数年間は団体のお客様が大幅に減少し、インターネットから予約される個人のお客様が中心になりました。
その流れから当社は「個人で旅行するお客様、若いお客様への認知をもっと広げなければならない」「100周年に向けて会社の存在を広めないといけない」という危機感がありました。ですが、何をしたら良いかわからない、PRの経験はなく、広告しか思いつかないという状況でした。
また、20年前に「株式会社 聚楽」と「株式会社 ホテル聚楽」が合併し、新会社「株式会社 聚楽」を設立していますが、2年前まで本部内もフロアが違うなど社内連携が取れていないことも課題でした。
ネタもと導入前の「広報PR活動」状況
100年という歴史はありますが、現在まで会社自体、広報活動はおろか、広報PRという概念がなく、各ホテルでは販売促進の担当者が広告を出稿するのみでした。レストランも新しい店舗をオープンしてもあまり宣伝しておらず、企業としてのPR活動が行えていませんでした。
当時、私自身は広報ではなく、ホテル事業部の本部のシステム管理担当でした。システムの導入時は経理システムから始まりましたが、その後はインターネットで予約を受けるようになり、インターネット販売へと幅を広げたことで、そこから広告に触れるようになりました。
広告に関わるようになってから、他社の広告関連のセミナーに参加するようになり「もっと情報発信しなければ」と思う気持ちが強くなりましたが「広告以外に何をやったら良いのかわからない」という状況が続いていました。
広報PR活動を重視するに至った理由
100周年を機に、認知拡大に力を入れたいと思ったことがきっかけです。
当社の施設や店舗は40代以上の方、団体旅行をご利用の方には知っていただいていましたが、若い世代の方や個人旅行を好む方には、まだまだ知っていただけていない状況があり、全体的に認知が薄れてきていると感じていました。旅行ニーズが大きく変わる中、若い世代の方に知っていただく取組みが必要と感じた中で、広告以外に何かやらなければと思っていました。
歴史があるため、今までも取材を受けることもありましたが、各ホテルや店舗に問い合わせをいただいたときに対応するという、全て受け身の取材でした。広告も昔は成果が出ていましたが、最近では以前のような成果は見えなくなっていました。
そのような中、10年前、ホテルで音の問題があって販売していない部屋があり、「音の問題があるから特別価格で販売します」と提供したところ、テレビから取材され、その効果から満室が続くという、ひとつの工夫から大きな反響があったことを思い出しました。そのことから、受け身ではなく、こちらから積極的にアピールできないかと考え、100周年が間近となった今、情報を出していきたいと思いました。
ネタもとを選んだ理由
ネタもとのサービス内容は、3年以上前に聞いていましたが、始めるきっかけを持てずコロナ禍に突入していました。その間に新築のホテル開業もありましたが、コロナ禍で先が見えず、投資に踏み出せませんでした。
今まで、広報PRに関して、取り組んだことがなかったため、社内もイメージがもてず、反対の声もありましたが、私は認知を獲得する上でチャレンジするべきだと思っていたので、社長に直接話をしました。社長からは一言「企業PRをやらないといけないだろう」と決断の声をもらいました。
ネタもとを選んだ一番の理由は、メディアからの「リクエスト機能」です。メディアからの要望を知ることができるのは、広報PR活動をやったことがなく何をアピールすればよいかわからない私たちとして、とても魅力的でした。
また、広報という概念もなかったくらいの状態だったため、プレスリリースも発表したことがなく、広報活動の一つひとつを教えてくれるPRコンサルタントのサポートがあることも心強いと思い決断しました。
広報PR活動で取り組んだこと・工夫したこと
スタート当時は、広報に関わる社員が私しかいませんでした。活動をスタートする最初のミーティングで、ネタもとの本村社長から「成功には体制が必要である」ということを聞き、活動のイメージを持てば持つほど、「私一人ではダメだ」と感じました。
そこで、体制作りに対し社内の理解を得ようと考え、「もう一度、本村社長から役員に同じ話をしてもらいたい」とお願いしました。話をしてもらった後に役員から「人を増やさなければいけない」という声が上がり、私のサポートに派遣社員の方が1名加わり、チームになりました。その体制で数カ月活動を進めましたが、まだ万全の体制ではない状態でした。
その時、ネタもとのプログラムにある「広報担当者交流会」で他社の広報の方に話を聞くことがありました。他社がどのように広報PR活動を成功させているかを知り、その内容をレポートにまとめて経営層に共有しました。体制についてもそうですが、広告宣伝と広報PRの目的を分けて活動していることを聞き、社内にも広告と広報の違いを伝えなければならないと思ったからです。
現在の体制は私と、私をサポートしてくれる派遣社員1名と、現場のスタッフ2名の計4名と専任はいませんが、徐々に体制を作ることを進められています。
100周年も間近であることから、体制をつくりながらタイミングを逃さず活動を進めたことは良かったと思います。まだまだ社内に広報が浸透しているとは言えませんが、あらゆる社内会議で広報活動を報告、共有して広報に対する社内の理解を深めることを意識しています。
「メディアとの接点」における成果
以前は広報の体制がなかったため、取材が入ってもその時限りで、メディアの担当者もわからない、取材内容も対応した現場社員しか分からないという状況でした。当然、自社のメディアリストもなく、情報発信もできておらず、継続したお付き合いをしているメディアもいませんでした。
ネタもととの広報活動は情報発信から開始しましたが、メディアキャラバンを行うまでになり、活動をスタートして半年を越えた今、自社のメディアリストは100件ほどになりました。
PRコンサルタントからもメディアリストを作る大切さを教えてもらいましたが、メディアの方とのリレーションは、単発ではなく継続が大切だと実感しています。そのためにメディアとの関係で大切にしているのは「取材のオファーは絶対に断らない」ということです。
2年前に事業には直接関係ない、携帯の電波障害の話題でテレビに取材を受けたことがありますが、そのときに取材を担当してくれたディレクターの方が、その後に同じ局の他の番組の方に「聚楽は取材を受けてくれたよ」と共有してくれ、新たな取材が入ってきたこともあります。
「PRのノウハウ」における成果
以前は、一部のホテルで広告のお付き合いから地元メディアの記者に直接話をして取材してもらうことはありましたが、プレスリリースを作成していたわけではなかったので、書き方もわかっていませんでした。
自社で情報発信するようになって分かったことは「情報とネタの違い」です。自分たちが良いと思ったことは反応なく、意外な情報に問い合わせがくることがあります。実際に記者の方とのコミュニケーションを取るようになって、記者がどのような流れでニュース記事を書くのかを知ってから、社会に関心を持たれる“ネタ”を提供しなければならないと気付きました。
また、自社メディアリストの作成、記者クラブへの情報提供などもそうですが、広報活動の一連の流れをPRコンサルタントに聞くことができたことで、動けるようになっています。そして、100周年のPRに関しては、PRしたい気持ちはあっても何をやっていいのか分からない状態でしたが、PRコンサルタントとディスカッションをする中で、3年前にスタートしたホテルでの「昭和レトロコーナー」をアピールしていなかったことに気付き、100周年とかけて、あらためて情報発信するなど、自分たちだけでは気付かない“ネタ”も発掘できています。
多くの昔の写真が保管されていることが財産となり、その他にも「戦前の社内大運動会、仮装大会」の情報や、戦前の新宿・神田・熱海・伊東の映像なども、保存状態の良い画像、動画があるので、ニュースレターでの発表やコーポレートサイトでの公開も、情報をまとめて発信することができました。今までの情報発信は、広告のみで、お金をかけてしかやっていませんでしたが、この半年では「広報の情報発信」から、産経新聞、読売新聞に記事を紹介されています。中でも読売新聞は、記者の方がコーポレートサイトに公開していたニュースレターを見て問い合わせをいただきました。
これは、半年間継続して情報発信したことが形になった結果です。記事掲載後には定年退職した昔の社員から「見たよ」と連絡があり、現在の社員だけでなく、100年企業を支えてきた社員にも喜んでもらえる情報発信になりました。
「ヒト(広報担当)育成」における成果
書いたことがなかったプレスリリースは、ネタもとのノウハウを習得するプログラムや、PRコンサルタントのアドバイスをもらいながら実践を積んでいき、私ともう1名のサポートスタッフの2人とも書けるようになっています。
私は他の仕事も抱えているので、1人で広報活動することには限りがありますが、今ではサポートスタッフが率先してプレスリリースを作成したり、新たにターゲットとなるメディアをピックアップしたり、自社メディアリストにあるメディアに情報を送るなど、2人で役割分担し活動量を増やすことができています。また、PRコンサルタントからは、プレスリリースの作成だけでなく、直接自分たちで記者の方に情報を届ける方法も教えてもらいました。ホテルは福島、新潟、東京、伊東、神戸とありますが、地方に関しては記者クラブに投函に行ったり、記者の方と対面で話をしたりなどの活動を行っています。
遠方のため、私が全てを対応することはできないので、ホテルのスタッフとともに分担しています。今のタイミングは100周年の質問も多く、ホテルのスタッフでは全てを答えられないため、特に初めての訪問の際は、私が同行して教えるようにしています。そして、広報活動を始めてから、その活動内容を社内に伝えていくことで、周りの社員が少しずつ情報を共有してくれるようになりました。まだ、本部内もそうですが、現場の若いスタッフからの声も聞くようになっています。少しずつの変化にはなりますが、続けていくことで、ホテルや店舗の現場スタッフとも連携できるようにしたいと思っています。
これまでに掲載された主な媒体名
・産経新聞
・読売新聞
※ネタもと契約から7カ月時点
掲載されるために工夫したこと
情報発信や活動など、1つに時間をかけすぎないでどんどんやってみることを意識しました。PRコンサルタントにアドバイスがもらえるので、分からないことや迷うことは相談できることも活動を進められたポイントになります。
そして、メディアからの電話は優先して絶対に出ることを徹底し、連絡先は私の携帯にしています。プレスリリースを発表した後、1週間程度は急ぎの問い合わせで19時頃に電話をいただくこともありましたが、メディアの方の時間に合わせて対応しています。メディアの方も仕事なので、極力協力することで今後につながる良い関係が築けていけると思い、取材の依頼はよほどのことがない限り断らないと決めています。
また、ホテルの現場社員とは、地元のメディアへの情報提供することを一緒に行いました。現場社員は、地方メディアと直接やりとりすることも多いので、広報PRを理解してほしいと思っています。広報PRのことを理解する社員が一人ずつ増えることで会社の広報力が上がると感じています。
どのような企業に「ネタもと」を勧めたいか
まず、商品があるところは、すぐに広報PRの活動を始めなければもったいないと思います。BtoC、BtoBに関わらず、どの企業も今後はさらにPRが重要になってくると思っています。
10月に”ステマ法改正”もあり、今まで以上に広告でアピールするには限度があるのではと感じています。広報PR活動だからこそ得られるのは信頼であり、企業価値を伝えないともったいないと感じています。
今まで広報活動をやったことがない会社も、ネタもとのプログラムの活用や、PRコンサルタントのサポートがあるので活動をスタートしやすいです。
また、最初から体制が整っていなくても、弊社のように活動をすすめながら体制を整えていくことができるので、認知を広げたい会社は「まずやってみる」ことをおすすめしたいです。
今後のさらなる目標
弊社は2024年3月に100周年を迎えます。今年は今しか伝えられない100年周年を通じて、聚楽のホテル、レストランを知らない方に知っていただく活動を集中して行っていきます。弊社のホテルやレストランは、今まで多くのお客様に支えられ、選ばれてきたからこその100年です。そのホテルやレストランそれぞれの良さを知っていただきたいと思っています。
そしてコロナ禍で変化したように、これからの100年も時代とともにホテルやレストランをご利用いただくお客様のニーズも変わっていきます。これまで培ってきた伝統を守りつつ、今後は新たなチャレンジを行っていけるよう、100周年を越えた後も、101年目からあらためてスタートすることを目指し、継続したコーポレートPRを行っていきたいと思っています。
来年100周年を迎える歴史ある企業でありながらも、コロナ禍における旅行業界の変動に直面した聚楽。従来の団体旅行から個人旅行へのシフトに伴い、若者や個人旅行客の獲得が急務となり、広報PR活動に着手。ネタもと導入から1年未満ながら、数あるプログラムとPRコンサルタントのサポートを活かし、メディアとのリレーションを築き上げる一方で、企業内の理解を深め広報体制を着実に構築していかれたようすです。
未知の領域だった広報活動で得た知識や経験が、次の100年に向けての成長と持続可能な発展を支える礎となることでしょう。
お忙しい中、快く取材にご協力いただきました堀越様、本当にありがとうございました。
参考:株式会社聚楽 様 正社員 570名/パートタイマー450名 ( 2023年11月現在)